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博多山笠現代裏事情
今では全国的に知られる『博多祗園山笠』の季節を、今年も迎えた。
博多の夏は、まさしく山笠とともにやって来るのだ。
『博多祗園山笠』は、鎌倉時代初期1241年頃が始まりと言われている。
当時、夏になると疫病が流行り、そのお払いの意味を込めて始まった事から、現在でも、
「暑い夏が元気に乗り越えられますように」との願いを込めて、祭りが執り行われている。
今年も、7月1日(月曜)からの2週間、博多の街、そして人は熱かった!!
高さが15mをも越える『飾り山』をかついだ男達が、博多の街を走った。
男達が山をかついで走って行く姿を見ているだけで、鳥肌が立つようであった。
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そして、7月15日(月曜)の、クライマックス『追い山』では、90万人を越える見物客を動員した。
4時59分の太鼓の合図と共に、一番山が勢いよく走り出し、5分間隔で二番山以降がその後に続く・・・
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博多の至るところでは、観光客や地元住民見物客で、人がごったがえしていた。
山笠の町には、現代社会が失いつつある地域の連帯感や、禁忌(タブー)が脈々と息づいている。
「子ども」は「若手」に鍛えられ、「年寄り」を敬う。
礼儀作法に厳しい。
期間中はキュウリを食べない。
その切り口が祭神である櫛田神社の御紋に似ているからだ。
しかし、問題もあるようだ。
計五千人もの男衆によって動かされる飾り山だが、その約七割は地元の博多部以外から駆け付ける応援部隊だという。
福岡県外や、福岡市の郊外に転出した博多んもんの方が多いのだ。
都心の空洞化によって、山笠を支える土台そのものがやせ細っているのも実情である。
山笠人形をつくる人形師や、かき山を組み立てる山大工も、後継者難に悩まされている。
博多人形師は九十人ほどいるが、飾り山づくりとなると十人前後に絞られる。
時代と共に、伝統、文化を尊重しなくなった、現代人の現れであろうか・・・