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代打→ジゴ郎

File19巌流島の決闘

宮本武蔵」は生涯60回以上の果たし合いを行っています。今回、武蔵最大のライバルである「佐々木小次郎」との決闘の地「巌流島」を訪れました。

宮本武蔵」
二天一流の開祖で剣豪として知られる。
名は初め“たけぞう”といった。17歳の時、関ヶ原の合戦に参戦。その後、“宮本武蔵”を名乗り、剣の求道者として修行の旅に出る。諸国を巡って戦い続け、吉岡一門との三度の対決、鎖鎌(くさりがま)の使い手・宍戸梅軒(ししどばいけん)との勝負、そして最大のライバルである佐々木小次郎との巌流島の決闘、と29歳までの間に六十余戦、一度も敗れることはなかったと著書『五輪書』に記している。自らの生き方に苦悩し、その限界に挑戦し続けながら、人間として、兵法家として、進むべき道を探求していく。

<参考@> 井上雄彦氏による連載漫画「バガボンド」/週刊誌「モーニング」連載
<参考A>NHK大河ドラマ「武蔵」/毎週日曜20時放送
近日、上記漫画やドラマ等メディアでも注目されている「宮本武蔵」

「巌流島」
(山口県下関市大字彦島字船島)

巌流島の正式名称は「船島」です。島の形が舟に似ていることがその由来と言われています。巌流というのは、この島で武蔵に敗れた「佐々木小次郎」の号です。

武蔵と小次郎の決闘はここで行われた・・・

慶長17年(1612)4月13日、武蔵と小次郎の決闘が行われました。決闘は武蔵がわざと遅刻し、小次郎がそれに怒り冷静さを失っている所をつかれてやられてしまったと言われます。小次郎が、さっさと行くぞ、と 言って刀の鞘を投げ捨てると、それを指して武蔵が「小次郎敗れたり」と言い「勝負のあと刀を納めるべき鞘を捨ててしまったのは、もうそれに納めら れないということだ」と指摘して、更に小次郎の動揺を誘ったと言われています。

 
 
砂浜には、武蔵が島を訪れる際使用した舟が再現されている。

武蔵や小次郎を偲ぶ石碑等。

≪巌流島の歴史≫

慶長17年(1612年)4月13日 「宮本武蔵」・「佐々木小次郎」が決闘。

嘉永2年(1849年)7月 吉田松陰が下関周辺を視察。「巌流島」に上陸、「小次郎」の墓に参る。「近くの山に、二郎兵衛がからいどあり」と書き遺している。

明治43年(1910年)10月31日 「佐々木巌流の碑」が島に建立される。

昭和30年(1955年) 「巌流島」の住民がピーク時、約30軒になる。(50軒近くとの説あり)

昭和48年(1973年)4月 島に残っていた最後の1人の住民が去り、居住者0となる。

昭和62年(1987年)10月4日 「巌流島」いっぱいにを焚き、アントニオ猪木とマサ斎藤のプロレス「夜のデスマッチ」興行。

平成2年(1990年)9月30日 「巌流島」にて岡山県大原町(「武蔵」出生地説)と福井県今立市(「小次郎」誕生地説)が、下関、熊本両市長立会いのもと、姉妹録細に調印。

平成15年(2003年) 「巌流島」整備事業完工。「小次郎」像、「武蔵」像の設置。浮き桟橋、釣りデッキや人工海浜に整備。歴史に触れる観光地として歩み始める。NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASI」放映。


巌流島行きのフェリー

そして先日、巌流島の決闘シーンが現代によみがえりました。

待たせたな、小次郎 巌流島に武蔵像完成

「待たせたな、小次郎」。山口県下関市の巌流島で14日、市が設置した宮本武蔵像の除幕式があり、先に完成していた佐々木小次郎像とともに迫力ある「巌流島の決闘」シーンが現代によみがえった。
 武蔵像は繊維強化プラスチック製で、台座と木刀部分を含め全高約3.8メートル。「無双の剣士」武蔵が木刀を大上段に持ち、小次郎めがけ、跳び上がりながら振り下ろす瞬間を躍動的に表現している。
 NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」で武蔵を演じる歌舞伎役者、市川新之助さん(25)も役と同じく、遅れて除幕式に参加。「島に来てアドレナリンが出るのを感じた」と話し、全国から駆けつけたファンとともに、決闘像に見入った。(共同通信)


Yahoo!ニュースより

 

ジゴ郎/オカワリ

 

 

 


 

 

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